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仙台地方裁判所 昭和32年(わ)368号 判決

被告人 斎藤幸雄 外一三名

主文

被告人斎藤幸雄、同今野拓造を各懲役一五年に、被告人村田勤を懲役一三年に、被告人加藤行男、同川村瑞夫を各懲役一〇年に、被告人遠藤宏、同我妻正一、同安藤養一を各懲役八年に、被告人及川淳、同丹野進を各懲役六年に、被告人川崎之雄を懲役五年以上一〇年以下に、被告人林武雄を懲役五年に、被告人斎藤忠良を懲役四年に、被告人金ケ瀬宗男を懲役三年に各処する。

未決勾留日数中、被告人我妻正一、同安藤養一、同加藤行男、同川村瑞夫、同川崎之雄に対し各一六〇日、被告人今野拓造、同遠藤宏、同林武雄、同及川淳、同丹野進に対し各一四〇日、被告人斎藤幸雄、同村田勤、同斎藤忠良、同金ケ瀬宗男に対し各一二〇日をそれぞれ右各本刑に算入する。

押収にかかる拳銃一丁(領置番号昭和三三年第一七号及び第三一号―以下同じ―の証第一の一号)、実弾一発(証第一の二号)、実弾六発入弾倉一個(証第二号)、日本刀三振(証第四号ないし第六号)、短刀一振(証第七号)、出刃庖丁一丁(証第八号)、匕首一振(領置番号昭和三三年第一七号―以下同じ―の証第二三号)、拳銃弾一一五発(証第二七号)、自動式拳銃一丁(領置番号昭和三三年第三一号―以下同じ―の証第二二号)、弾倉二個(証第二三号)、拳銃ケース一個(証第二四号)はいずれもこれを没収する。

訴訟費用中証人吉田美佐穂、同吉田達夫、同長谷川幸吉、同広沢久子、同細谷善信に各支給した分は、被告人斎藤幸雄、同遠藤宏の連帯負担とし、証人日野義一に支給した分は、被告人及川淳の負担とし、証人江刺幸雄に支給した分は被告人金ケ瀬宗男の負担として、被告人遠藤宏の解任前の国選弁護人伊達亮治に支給した分は、同被告人の負担とし、被告人斎藤忠良の解任前の国選弁護人林昌司に支給した分は、同被告人の負担とし、被告人川崎之雄の国選弁護人稲村良平に支給した分は、同被告人の負担とし、被告人林武雄の国選弁護人高橋万五郎に支給した分は、同被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

第一  被告人斎藤幸雄は、仙台市東一番丁所在モガミビル内に事務所を設け、興行の斡旋業をしているほか、的屋東京盛大一家西岡分家錦戸組二代目親分であつて、仙台市内における数ヶ所のバー、キヤバレー、パチンコ遊戯店の相談役名義でいわゆる用心棒をしているもの、被告人今野は、肩書居宅で飲食店を営んでいたが、被告人斎藤幸雄とはかねてからの昵懇の間柄にあり、かつその配下に属し、同被告人の実子分と目せられ、最高幹部の地位にあるもの、被告人村田、同安藤、同我妻、同遠藤は、いずれも被告人斎藤幸雄から乾分の盃を受け、その配下として幹部の地位にあり、かついわゆる四天王と称せられるもの、

被告人加藤、同川村は、いずれも被告人今野方の雇人で同被告人方に住込み、被告人斎藤幸雄からそれぞれ乾分の盃を受け、その配下にあるもの、

被告人及川、同丹野、同川崎、同林、同斎藤忠良、同金ケ瀬は、いずれも被告人斎藤幸雄のため、その興行のビラ張りなどを手伝い、常に前記モガミビル内の事務所に出入りし、同被告人からそれぞれ乾分の盃を受け、その配下に属するものであるが、

同市内のいわゆる盛り場で、右西岡組と並びその勢力を有する奥州西海家横田一家から一家名乗りをした吉田武を親分とする吉田組とは、かねてから同市内のダンスホール、キヤバレー、バー等の縄張りをめぐり互に対立反目を続けていた折柄、たまたま被告人斎藤幸雄は、昭和三二年一一月二六日午前一時頃、同市国分町所在バー「二番街」で休憩中、客席で右吉田組の身内の乙坂鉄夫がさわいでいたので、同人を殴打し、戸外につき出したところ、間もなく同組の幹部である守屋長清外数名から同所で殴る蹴るなどの暴行を受け、顔面に傷を負い、同市元常盤丁一三番地金川旅館に引揚げたが、右「二番街」は、同被告人がその数日前より相談役を引受けた店でもあつて、その矢先に同店で右吉田組の配下の者から斯様な屈辱を受けたので、その面目を潰されたことにつき無念やるかたなく、必ずこの仕返しをしようと決意するに至り、その夜が明けた同日昼すぎ頃、まず被告人今野を同旅館に呼び寄せ、さらに同人に命じて、被告人村田、同安藤、同我妻、同遠藤等を召集させ、かくして同日午後二時すぎ頃、被告人今野、同村田、同安藤、同遠藤並びに被告人我妻及びこれに伴つて来た被告人加藤が同旅館に集合した。被告人斎藤幸雄は、右集合した被告人等一同に対し、吉田組の守屋長清等からの前記被害の顛末をうちあけ、残念至極である旨告げたので、右被告人等一同もこれを聞き激昂すると共に、従来にも屡々吉田組の身内の者から辱めを受けた事実をその席で訴える者もあつたため、吉田組一派に対する憎しみの情と復讐の念はいやが上にも高まり、遂にはこの際吉田組親分吉田武、同組の幹部菅原孝太郎及び守屋長清の三名を一挙に殺害してその報復をはかり、以て一家の勢威を確立しようと謀議が一決し、なお犯行の時期、犯行後の逃亡先、資金等についても打合せをした上、同日四時頃右被告人等一同は散会した。

一方被告人金ケ瀬は、同日午前中から前記モガミビル内の事務所に来ていたところ、午後二時ごろ、同事務所に立寄つた被告人今野から、身内の若い者を待機させておくように命ぜられたのでつぎつぎに同事務所に来た被告人及川、同丹野、同川崎、同林、同川村、同斎藤忠良等に対しそれぞれその旨を申伝えたため、同被告人等はいずれも午後八時ごろまでに同事務所に参集し待機していたところ、被告人今野をはじめ、被告人村田、同安藤、同我妻、同遠藤、同加藤も同事務所に赴き、同所で被告人今野及び同村田から一同に対し、叙上の経緯を伝え、右殺害の実行に当ることを申向けたので、右待機していた被告人等一同は直ちにこれを応諾し、茲に被告人等全員は順次共謀を遂げた上、前記吉田武、菅原孝太郎、及び守屋長清の三名を殺害することを企て、

一  被告人今野、同村田、同我妻、同遠藤、同加藤、同川村、同及川、同丹野、同川崎、同林、同金ケ瀬、同斎藤忠良等において前記吉田武、菅原孝太郎、守屋長清の三名を殺害する目的で、右今野は実砲の装填された拳銃一丁(被告人斎藤幸雄を除くその余の被告人については、領置番号昭和三三年第一七号、被告人斎藤幸雄については領置番号昭和三三年第三一号―以下同じ―の証第一の一号)を、右斎藤忠良、加藤、及川、川村、金ケ瀬は各日本刀一振(証第三号、四号、五号、六号、一二号)を右丹野は匕首一振(証第七号)を、右川崎、林は各出刃庖丁一丁をそれぞれ携帯の上、同日午後一〇時ごろより翌二七日午前〇時ごろまでの間、数組に分れ、再三に亘り同市東一番丁及び同市国分町(通称稲荷小路)方面を、ハイヤーに乗り、又は徘徊してその所在を探し求めたが、遂に発見するに至らず、以て殺人の予備をなし、

二  前記の如く、殺害の目的で吉田武等の所在を求めたが遂に発見しかねて、被告人我妻を除くその余の右被告人等は、同夜遅く同市南町通り仙台駅前マルエスストアー内のお休所に遂次引揚げ、一時休息したが、被告人今野は、いかにしても同夜中に吉田武に対する殺害の目的を達成すべく、被告人加藤に対し、その旨を申向けたので、同被告人及び被告人川村、同及川、同川崎、同丹野においてこれを担当することになり、被告人加藤の指揮の下に、右加藤は拳銃一丁(証第一の一号)を、右丹野、川崎、及川、川村は各日本刀一振(証第三号ないし第六号)を、それぞれ携帯の上、同月二七日午前三時四〇分ごろ、ハイヤーに乗車して同市木町通り七番地吉田武方に殴り込みのためその付近まで赴いたが、土地不案内のため、再び前記お休所に休息中の被告人林を連れ出し、同被告人は出刃庖丁一丁(証第八号)を携帯してこれに加わり、同人の案内で右被告人等一行は右吉田武方に至つた。そして同所で、被告人林は戸外に見張りをし、被告人川村、同川崎は同家玄関から、被告人加藤は縁側からそれぞれ硝子戸を蹴破つて屋内に乱入し、被告人川村、同川崎の両名において、同家八畳間から台所に逃れようとした吉田武を追い、右台所で所携の日本刀を振つてそれぞれ右吉田の頭部又は上肢等に斬付け、よつて同人の頭部に脳質にも及ぶ割創、並びに左上膊に上膊動脈の内側三分の二を切る切創等を負わせ、そのため、間もなく同人方で失血死させてその目的を遂げ、

第二  法定の除外事由がないのに、

一  被告人今野は、前記第一の一記載のとおり拳銃一丁(証第一の一号)を携帯所持し、

二  被告人加藤は、

(イ) 前記第一の一記載のとおり刃渡一五センチメートル以上の日本刀一振(証第四号)を携帯所持し、

(ロ) 前記第一の二記載のとおり拳銃一丁(証第一の一号)を携帯所持し、

三  被告人及川は、前記第一の一、二記載のとおり刃渡一五センチメートル以上の日本刀一振(証第五号)を携帯所持し、

四  被告人丹野は、

(イ) 前記第一の一記載のとおり匕首一振(証第七号)を携帯所持し、

(ロ) 前記第一の二記載のとおり刃渡一五センチメートル以上の日本刀一振(証第三号)を携帯所持し、

五  被告人金ケ瀬は前記第一の一記載のとおり刃渡一五センチメートル以上の日本刀一振(証第一二号)を携帯所持し、

六  被告斎藤忠良は、前記第一の一記載のとおり刃渡一五センチメートル以上の日本刀一振(証第三号)を携帯所持し、

七  被告人斎藤幸雄は、

(イ) 昭和三二年一一月二六日夜仙台市東一番丁喫茶店「白鳥」で拳銃一丁(証第一の一号)を携帯所持し、

(ロ) 同月同日同市柳町六五番地中川由美子方で拳銃一丁(領置番号昭和三三年第三一号の証第二二号)を所持し、

八  被告人村田は、昭和三二年一一月二七日午前一時頃、仙台市茂市ヶ坂九番地旅館「大しま」で刃渡一五センチメートル以上の日本刀一振(証第一二号)を携帯所持し、

九  被告人川崎は、昭和三〇年八月ごろから同三二年一一月二七日までの間、肩書自宅で刃渡一五センチメートル以上の匕首一振(領置番号昭和三三年第一七号の証第二三号)を所持し、

第三  被告人今野は、法定の除外事由がないのに、昭和三二年八月ごろから同年一二月一七日までの間、仙台市中田町四番地佐藤進方に拳銃用実砲一一五発(領置番号昭和三三年第一七号の証第二七号)を隠匿して所持し、

第四  被告人斎藤忠良は、

一  昭和三二年一〇月一〇日ごろ、知人嶺岸七郎から同人所有のクローム側腕時計一個(時価四、八〇〇円相当)を借受け保管中同月一二日ごろ、仙台市東一番丁一番地丸中質店で擅に入質してこれを横領し、

二  同年同月一四日午後一一時ごろ、同市東八番丁付近で氏名不詳の男と口論中、たまたま同所を通り合わせた安倍昭(当四七年)から仲裁され、その仲直りに付近の屋台店で酒を振舞われたが、同人が帰つて行く姿を見て同人から金員を喝取しようと思付き、直ちにこれを尾行し、同日午後一一時三十分ごろ、同市東九番丁聾唖学校前付近にさしかゝつた際、同人を呼び止め、同人に対し「金を一〇〇円か二〇〇円貸してくれ」と申向けてその場に突き倒し、同人をして、若しこの要求に応じなければさらにどのような暴行を加えられるかも知れないと畏怖させ、よつて同人が内ポケツトから現金約四、四〇〇円在中の財布の中から数百円を取出して被告人に交付しようとして財布を取出した瞬間右安倍の隙を見てその財布をひつたくり取り、以てこれを喝取し、

三  同年同月一九日午後九時三〇分ごろ、同市東二番丁一二六番地飲食店加藤文一方前路上で、佐藤悌次郎と些細なことから口論し、激昂の余り、両手拳で同人の顔面を数回殴打してその場に顛倒させ、よつて同人に対し治療約二週間を要する左眼部打撲兼裂創等の傷害を与え、

第五  被告人金ケ瀬は、昭和三二年八月三一日午後一時ごろ、仙台市裏五番丁七番地青葉パチンコ遊戯場前で、笠松新太郎から、右遊戯場で遊戯中の江刺幸雄(当二〇年)を指し、同人より、話はつけてあるから玉を貰つて来いと申向けられ、右笠松が同人からパチンコ玉を喝取しようとしているものであることを察しながら直ちにこれを承諾し、こゝに右笠松と犯意共通の上、右江刺に近付き、同人に対し「パチンコをやめろ、玉をよこせ」と申向け、同人をして若しこの要求に応じなければ同被告人等からどのような危害を加えられるかも知れないと畏怖させ、よつて即時同所で同人からパチンコ玉一二〇個の交付を受けてこれを喝取し

たものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(累犯となる前科)

被告人及川淳は、仙台地方裁判所で(1)昭和三一年一二月二六日傷害罪で懲役四月、保護観察付五年間執行猶予(昭和三二年六月一四日刑執行猶予取消決定確定)に、(2)昭和三二年五月二五日同罪で懲役二月に各処せられ、当時右各刑は(2)及び(1)の順で引続き執行を終つたもので、該事実は検察事務官作成の同被告人に対する前科調書と、同被告人の公判廷の供述によりこれを認める。

(法令の適用)

被告人等の判示所為中、判示第一の一の吉田武、菅原孝太郎、守屋長清に対する殺人予備のうち、吉田武に対する点は、その後の判示第一の二の同人に対する殺人既遂罪に吸収され、別に独立した殺人予備罪を認むべきでないので、右菅原孝太郎及び守屋長清に対する殺人予備罪についてのみに適条することとし、右所為は刑法二〇一条本文、一九九条、六〇条に、判示第一の二の所為は、同法一九九条、六〇条に、被告人今野の判示第二の一、被告人加藤の判示第二の二の(イ)、(ロ)、被告人及川の判示第二の三、被告人丹野の判示第二の四の(イ)、(ロ)、被告人金ケ瀬の判示第二の五、被告人斎藤忠良の判示第二の六、被告人斎藤幸雄の判示第二の七の(イ)、(ロ)、被告人村田の判示第二の八、被告人川崎の判示第二の九の各所為は、いずれも銃砲刀剣類等所持取締法附則九項、銃砲刀剣類等所持取締令二六条一号、二条、罰金等臨時措置法二条に、被告人今野の判示第三の所為は、火薬類取締法五九条二号、二一条、罰金等臨時措置法二条に、被告人斎藤忠良の判示第四の一の所為は、刑法二五二条一項に、同第四の二の所為は、同法二四九条一項に、同第四の三の所為は、同法二〇四条、罰金等臨時措置法二条、三条一項一号に、被告人金ケ瀬の判示第五の所為は、刑法二四九条一項、六〇条に各該当するところ、判示第一の一の菅原孝太郎及び守屋長清に対する殺人予備の点は、一個の行為にして数個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により犯情の重いと認める菅原孝太郎に対する殺人予備罪に定められた刑に従い処断することとし、被告人等全員に対し、判示第一の二の殺人罪については所定刑中各有期懲役刑を、被告人今野、同加藤、同及川、同丹野、同金ケ瀬、同斎藤忠良、同斎藤幸雄、同村田、同川崎に対する判示第二の右銃砲刀剣類等所持取締令違反罪並びに被告人今野に対する判示第三の右火薬類取締法違反罪については、いずれも所定刑中懲役刑をそれぞれ選択し、被告人及川には前示のような前科があるので、刑法五六条一項、五七条により、前示殺人罪の刑に同法一四条の制限に従い、それぞれ累犯の加重をし、以上被告人等の判示各所為の罪は刑法四五条前段の併合罪であるから、被告人斎藤幸雄、同今野、同加藤、同及川、同丹野、同斎藤忠良、同金ケ瀬に対しては、同法四七条本文一〇条により重い殺人罪の刑につき同法一四条の制限内で法定の加重をした刑期範囲内、被告人村田、同川村、同遠藤、同我妻、同安藤、同川崎、同林に対しては、同法四七条本文、一〇条により重い殺人罪の刑につき同法四七条但書の範囲内で法定の加重をした刑期範囲内で処断すべく、なお、被告人川崎は少年法二条の少年であるから、同法五二条一項二項を適用し、被告人斎藤幸雄、同今野を各懲役一五年に、被告人村田を懲役一三年に、被告人加藤、同川村を各懲役一〇年に、被告人遠藤、同我妻、同安藤を各懲役八年に、被告人及川、同丹野を各懲役六年に、被告人川崎を懲役五年以上一〇年以下に、被告人林を懲役五年に、被告人斎藤忠良を懲役四年に被告人金ケ瀬を懲役三年に処し、被告人等に対し同法二一条により各未決勾留日数中主文第二項掲記の各日数をそれぞれ右各本刑に算入し、押収にかゝる拳銃一丁、実弾一発、実弾六発入弾倉一個(証第一の一、二号、第二号)は、いずれも被告人今野が判示第一の一の犯行に供したもの、日本刀一振(証第四号)は被告人川崎が判示第一の二の犯行に供したもの、日本刀一振(証第五号)は、被告人及川が判示第一の一の犯行に供したもの、日本刀一振(証第六号)は、被告人川村が判示第一の一及び二の各犯行に供したもの、短刀一振(証第七号)は、被告人丹野が判示第一の一の犯行に供したもの、出刄庖丁一丁(証第八号)は、被告人林が判示第一の一の犯行に供したものであつて、いずれも被告人等以外の者に属しないから刑法一九条一項二号前段、二項により、匕首一振(領置番号昭和三三年第一七号の証第二三号)は、被告人川崎の判示第二の九の犯行を組成したもの、拳銃弾一一五発(領置番号昭和三三年第一七号の証第二七号)は、被告人今野の判示第三の犯行を組成したもの、自動式拳銃一丁(領置番号昭和三三年第三一号の証第二二号)は、被告人斎藤幸雄の判示第二の七の(ロ)の犯行を組成したものであり、弾倉二個及び拳銃ケース一個(同号の証第二三号及び第二四号)は、いずれも右拳銃の附属品であつていずれも同被告人等以外の者に属しないから、同法一九条一項一号二項によりそれぞれこれを没収することとし、訴訟費用は、刑訴法一八一条一項本文、一八二条による被告人等に対し主文第四項掲記のようにそれぞれ負担させることとする。

(刑訴法三三五条二項の主張に対する判断)

一  被告人林の弁護人高橋万五郎は、同被告人は本件犯行当時飲酒酩酊のため心神喪失ないしは心神耗弱の状態にあつたものと主張する。なるほど同被告人の第一二回公判廷(昭和三三年一一月二二日)における供述によれば、同被告人は本件犯行の当夜七時すぎか八時頃、相被告人村田に連れられ、相被告人川村、同川崎と共に「第三たる」に赴き、同所で洋酒を飲んだが、同被告人は、ウイスキーをダブルで七杯、ジンフイズ一杯を飲み、さらにその後相被告人川村、同川崎と共に「ベア」に赴き、同所で同被告人はウイスキーをダブルで五、六杯飲んだというのであるから、これにより同被告人はかなり酔つたであろうことは推認するに難くないが、右公判廷の同供述によれば、同被告人は酒を好み、平素の酒量は、酒ならば三、四合、焼酎ならば二合ということであるから、相当に飲酒の経験もあるのみでなく、同被告人の検察官に対する各供述調書によれば、同被告人は、本件犯行当夜の行動、特に右飲酒後同被告人が徘徊した経路や、途中で出逢つた他の被告人等の氏名や、その行動、言葉を交した内容まで詳細に記憶しているところを述べて居り、前記公判廷でもこれと同趣旨の供述をしていることが認められるので、同被告人は、本件犯行当時意識は明瞭であつたものと認められ、従つて是非善悪の弁別能力を全く失つていたものでないことはもちろん、それが著しく減退していたものとも認められないので、同弁護人の右主張は採用しない。

二  被告人我妻の弁護人千葉長は、本件殺人予備罪及び殺人罪について、同被告人は右予備行為の中途から犯意を抛棄して単独帰宅したものであるから、中止未遂をもつて論ずべきものである旨主張する。しかし、前掲の判示第一の一、二の事実に対する各証拠によれば、被告人我妻は、判示第一の金川旅館及びモガミビル内の事務所で、他の相被告人等と吉田武、守屋長清、菅原孝太郎の三名を殺害することの共謀を遂げたことが優に認められ、さらに同被告人の検察官に対する各供述調書によれば、同被告人は最初右金川旅館で相被告人斎藤幸雄、同今野、同安藤、同遠藤、同村田、同加藤等と共に、右吉田武等三名に対する殺害の謀議を遂げた後、一旦帰宅し、特に身支度を整えた上右事務所に赴き、同所で相被告人丹野に対し当夜の犯行に備えるため匕首一振を手交したこと、判示第一の一のように実砲の装填された拳銃又は日本刀、匕首等を携帯した他の相被告人等と共に相前後し、仙台市東一番丁及び同市国分町方面を、前記吉田武等の所在を探し求めて徘徊したが、これを発見することができず、他の相被告人等が判示お休所に引揚げる間際に、途中から帰宅したものであることが認められるので、同被告人が他の者から離れ帰宅する以前既に殺人予備罪が成立し、その後に犯行を中止しても中止未遂を以て論ずべきものでないことはいうまでもない。また同被告人が判示第一の二の吉田武に対する殺害の実行にあたらなかつたことは明かであるが、同被告人と共謀関係にある他の相被告人等が右の共謀に基き、これを実行してその目的を遂げた以上、たとえ同被告人が犯意を抛棄して帰宅し、その際共犯者の一部の者に帰宅する旨を告げたとしても、右実行を阻止する何等の措置を構ずることなく、これを阻止し得なかつたものであつてみれば、同被告人は失張り共同正犯として殺人既遂の刑責を免れるものでなく、従つて中止未遂をもつて問擬する限りでない。同弁護人の主張はこれを採用しない。

三  被告人遠藤の弁護人林久二は、同被告人には他の相被告人との間に吉田武、守屋長清、菅原孝太郎等に対する殺人の謀議はなく、単に傷害の謀議のみに止まるものであり、まして同被告人は自己の意思により実行を中止したものであるから、その後生じた吉田武の死の結果について関知するものでなく、傷害の中止未遂をもつて論ずべきものである旨主張するが、判示第一の一、二の事実に対する前掲の各証拠によれば、同被告人についても他の相被告人等と共に吉田武、守屋長清、菅原孝太郎等三名に対する殺害の謀議があつたことが肯認され、その実行のため判示第一の一の相被人等と共に同判示のように右三名の所在を探し求めて徘徊した挙句、遂に探しあてることができなかつたので、お休所に引揚げその後同所から帰宅したものであることが認められるので、前記被告人我妻の弁護人の主張に対し示した判断と全く同じ理由により右主張はこれを採用しない。なお、同弁護人は、同被告人が本件吉田武の死の結果の発生防止について真摯な努力をしなかつたとしても、本件の如き集団犯行の場合、同被告人にそれを期待することは到底不可能であると主張する。しかし、それが謀議に基く集団的な犯行の場合であつても、そのうちのある者が真にその結果の発生を防止しようとする意思があり、かつこれに努めるならば、それは単独犯行の場合に比して、単に容易でないというに止まり、必ずしもこれを期待することが到底不可能であるとはいわれない。そこで本件被告人の場合についてみるに、同被告人の検察官に対する昭和三二年一二月一七日付供述調書によれば、同被告人は、前記お休所に引揚げた後、他の相被告人を残したまま自分のみ逃げ帰ろうと考え、前記吉田武等三名に対する殺害の実行については、残された他の相被告人にその成行をまかせる意思の下に帰宅したことが認められるので、同被告人には真に吉田武の死の結果発生を防止しようとする意思がなかつたものであることは明かであるから、同弁護人の右主張もこれを採用することができない。

四  被告人金ケ瀬の弁護人工藤鉄太郎は、同被告人は、相被告人斎藤幸雄を親分とする東京盛大家西岡分家錦戸組において隷属的地位にあつたもので、かゝる被告人が同組の上級幹部から本件吉田武、守屋長清、菅原孝太郎等三名に対する殺害の実行に当ることを謀られたとしても、同被告人にこれを拒否することを期待することは不可能である旨主張する。よつて按ずるに、被告人金ケ瀬が右錦戸組に所属してからまだ日も浅く、しかも若輩でもあつたため、同組の中では取上げる程の地位に置かれていなかつたことは判示第一の一、二の事実に対する前掲の各証拠によつて明らかである。そして右各証拠によれば、同被告人が同組の上級幹部である今野及び村田から判示第一のモガミビル内の事務所で吉田武、守屋長清、菅原孝太郎等三名に対する殺害の実行に当ることを申向けられたのは本件犯行の当日(昭和三二年一一月二六日)午後八時頃であつたことも認められるが、同被告人はこの時初めて右企図を知つたものではなく、同日午後二時頃今野から右事務所に待機するように命ぜられ、同日夕刻頃までに同組の身内の者が右事務所に参集し、かつ日本刀四振も同所に持込まれたのを目撃したので、同被告人としては、まだ具体的な内容はわからなかつたとしても、同組の身内の者が他にいわゆる殴り込みをかける等の不祥事態の発生することを既に察知していたことが認められるので、同被告人がこれらの企図から脱退しようとするならば、前記殺害の実行に当ることを申向けられる以前、同所から退去する等の手段によりこれに参加しないことも考えられるのみでなく、右申向けられた後においてもその実行に移る以前これを従うことなく、その実行を避けるだけの時間的余猶がなかつたものと認められず、又必ずしもそれが不可能であつたとも考えられない。これを要するに、同被告人が上級幹部から前記殺害の実行に当ることを申向けられたその場で直ちにこれを拒否することは同被告人の立場として極めて至難であつたとしてもその意志さえあればこれを避けることを期待し得ないわけではなく、抑々近代のように警察制度の発達した文化国家の下においてはそれが幹部の命令であるとか、若輩であるとの故を以て他に適法行為を期待し得ないとするが如き所論は到底肯認することができない。

右弁護人の主張は採用しない。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 佐々木次雄 杉本正雄 千葉裕)

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